饕餮

 きっかけはそう・・・深井さん主催の『生命の樹』の試食会の話でしたわね・・・。
 試食会でいただいた料理の評議をしていた時です。

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 ゆんさんと”ろーすとびーふ“の話をしていた時、急に私は軽いめまいを感じた。
「ゆんさんもおいしそう・・・・・・」
 思わずそんな言葉が口を突いた。
 驚きよりも先に、覚えのある渇きが身の内でよじれたのが分かる。
「あ・・・・・・だめ・・・・・・」
 声が漏れ、思わず私は自分の体を抱きしめた。
 ───”あれ”が来る・・・。
 ───かつて、私の身に降り、その欲のおもむくままに我が一族を恐怖のどん底に陥れた、”あれ”が・・・・・・。
 心臓が激しく高鳴るのが分かる・・・・・・全身が悲鳴を上げているのが分かる・・・・・・。
 近くにはまだ大人になりきらない女性の肉体がある。
 ───これは・・・・・・美味そうだ・・・・・・。
 そんな衝動が沸き上がるのを感じる。
 目を開けた時、視界はすでに変化していた。
 人の目で見えぬものを見る、魔物の金の瞳に。
「・・・・・・ちょっと・・・・・・失礼させていただいて・・・・・・滝に打たれてきますわ。確か、打たせ湯、ありましたわよね・・・・・・ユーラさん」
「ええ、精神修養に最適ね」
「・・・・・・どなたも、こちらに・・・・・・来られませぬように・・・・・・何が起こっても・・・・・・責任が持てませぬ故・・・・・・」
 それだけ言ってその場を離れるのが精一杯だった。
 私の嗅覚はすでに魔物のそれと化していた。
 その場にいる人間の醸し出す香りは食欲をそそるものにしか思えない。
 危険信号は点滅を続ける。頭が割れるような痛みに襲われる。
 水霊に打たせ湯の湯を水に変換させ、服を着たまま滝へ・・・。
 凍るほど冷たい水に熱を持ち始めた自分の体をさらし、精神統一の呪を唱える。一刻も早く、この魔物を去らしめよ、と。
「シャナちゃん、ちょっと「氣」を抑えて。みんな影響されてるわ」
 ユーラさんの声。
 ───分かる・・・・・・私のものならぬ気が、私からあふれているのが。
 ───じわじわと私の体を侵していく、魔物の気が・・・・・・。
「気を・・・・・・納める・・・・・・ 」
 いつもなら圧倒的優位で魔物を封じ込められるはずの自分の精神力が、思いも寄らぬ力で蹴散らかされる。
 ───少し前から欠けていたのを知りながら放置してきた報いなのですか、これが・・・・・・!
 握り締めた右の手のひらには黄金に輝く気の剣が出現していた。
「シャナ女史、終わったら交代してください。」
 たくらまさんの声に、私はたまらず叫んでいた。
「たくらま・・・・・・さん・・・・・・?・・・・・・寄らないで!こっちに・・・・・・来られぬよう・・・・・・お願いしましたはずです・・・・・・」
 ───今誰かが姿を現せば、魔物の気は爆発する。・・・・・・そうなってはもう、私には止めようがない。
「大丈夫です、こっちから声をかけただけですから」
 たくらまさんの声がする。
「今・・・・・・代わりますわ。どうぞ」
 ───私ではない者が、そう応える。私ではない者が、私の体を動かす。
 滝を出て、私の足は皆のいる方へと向かっている。
「ゆんさん・・・・・・早くお逃げになって・・・・・・食人の衝動・・・・・・ゆんさんにしか向いてないんですの!」
 身体は意のままにならず、口だけが私の言葉を紡ぐ。
 ゆんさんたちが、原因であろう”ろーすとびーふ”を差し出しているのが見える。
 ───私の食の衝動がそちらに走ったのに、饕餮の衝動はゆんさんだけを求めているのが分かる。
「違う・・・・・・私の求めているのは・・・・・・」
 私の手がゆんさんの両手首を掴む。
 ───己が身の底で、饕餮が舌なめずりをした・・・・・・。もう、私には止められない。
「違う・・・・・・違う!・・・・・・誰か、止めて!」
 悲痛な叫び声。
 ───半泣きだった・・・・・・いえ、泣いていたのかも知れません。でも、私の目から涙は落ちなかった。
 ゆんさんの叫び声。
 菅原さんと沢村さんがとっさに私の手からゆんさんを奪い取り、深井さんがその身羽交い締めにする。
 魔物の怒りが私・・・・・・いえ、饕餮の視界を染めた。
「何を・・・・・・する・・・・・・は・・・・・・なせっ!」
 深井さんの手を逃れ、手落とした剣を手に沢村さんへ、後ろのゆんさんへ・・・。
 剣の真ん前に菅原さんが飛び出した。
 周囲ではたくらまさんの放つ魔術とゆんさんのイカリングが交錯する。
 魔物にとまどいの表情が浮かぶ。
「そなたは・・・・・・何も思わぬと・・・・・・?この衝動に・・・・・・」
 その一瞬の隙に、深井さんが再び背後より魔物を縛る。
「衝動に身を任せるだけなら、獣と同じだ、シャナさん」
 菅原さんが私に言う。危機回避、と沢村さんが息をつく。白さんが魔封じをかける・・・・・・誰も、魔物とは思ってもいないのだ。
 ───負ける・・・・・・。
 瞬間、私は背筋を凍らせた。
 ───私の中で饕餮が笑った気がした。
「・・・・・・血に潜む魔の気配により・・・・・・ 我は現れる・・・・・・我が名は・・・・・・饕餮・・・・・・」
 立ち上がり、饕餮は戒めを簡単にふりほどいた。
「飽くなき貪欲の・・・・・・饕餮・・・・・・」
 ウラジーミルさんのつぶやき。
 ───もう、誰にも、止められない・・・・・・。
 私は全てを覚悟した。
 ゆんさんの放ったイカリングが、クジラが、饕餮を襲う。だが、饕餮は興味なげに飛び退いただけだ。
「烏賊など・・・・・・我が口にあわぬ」
 ふたたびたくらまさんの魔術が迸る。無数の虫が頭上より降る。
 饕餮は、私の魔術を使い、虫を焼き払った。・・・・・・そこまで、私の身体を既に支配しているのだ。
 それ以上興味を持たず、饕餮は再びゆんさんに向きなおった。
 前に再び菅原さんが立ちはだかる。
 饕餮は剣を再び出現させた。
「貴様が・・・・・・そこをどかぬと言うならば・・・・・・喰らうまで・・・・・・」
 上段に構え、菅原さんを見据える。
 アイリーンさんが心配げに見守っているのを、饕餮の中の私は気づいていた。
 伊月さんが視界に入る。
 蒼い”気”を纏った、伊月さんの煌々たる魂の輝きが、饕餮の目を通じて私には見えていた。
「そなたに用はない」
 新たに現れた邪魔者、としか思わなかったのだろう、饕餮の気が伊月さんから逸れる。
「果たして、喰らえるかな」
 目の前の剣にたじろぎもせず、菅原さんがまっすぐ饕餮を見る。その視線は、私の心を貫いた。
 ───それだけは、いけない!私が・・・・・・させない!そんなことは・・・・・・。
 持てる力を振り絞って、饕餮の支配から己が身を奪い返す。
「・・・・・・誰・・・・・・か・・・・・・止め・・・・・・て・・・・・・」
 怒りに力を強めた饕餮が、私の精神を引き裂く。
 その一瞬の隙に剣をはじくものがあった。
 伊月さんの槍だった。
「邪魔をするな!」
 返す剣が伊月さんを追うが虚しく空を切る。空に逃げた伊月さんは、戦乙女の姿になっていた。
 体当たりを喰らい、揺らいだところへ、アイリーンさんまでが捨て身の攻撃をかけてくる。
 それを後転で交わし、体制を整えるまもなく、紫の雷電が剣に走った。
 だが、帯電した剣をそのまま伊月さんへ向ける。が再び落雷し、剣が砕けた。
「汝が得物はすでにない・・・安らかに眠るがよい」
 不意を突いて蒼い気の伊月さん・・・・・・否、戦乙女は饕餮を抱きすくめて自由を奪った。
 一層籠もる腕の力に、饕餮の口から悲鳴が上がる。
 急激なショックのせいか、饕餮がひるんだのが分かった。身体の支配が私に戻る。
 だが、饕餮は去らない。
 それを知ってか、戦乙女の攻撃は止まない。なおも激しさを増し、頸落としにかかる。
「い・・・・・・・・・づ・・・・・・・・・・・・き・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 意識を失いかけ、身体の支配を失ったのは私だった。
 止めとばかりにユーラさんの召還した鳳凰が饕餮を狙う。
「くっくっくっ……シャナの躯を呑み込みたる者よ。逃げ去る方がよいぞ・・・この剣は魔を斬るもの。シャナを傷つけず、シャナに降りた者を追う・・・・・・消滅したくなくば、疾く立ち去れ」
 戦乙女の言葉に、死んだかのように見えた饕餮の目が開いた。
「・・・・・・我はこの者の血に潜みしもの・・・・・・呼ばれれば何度でも復活する・・・・・・」
 鳳凰のせいか、それとも戦乙女のせいか、饕餮は身体の支配を手放した。
 饕餮が薄く笑う。
 この場は逃げるが、再び現れるつもりなのだと知れる。
 ───それでは・・・・・・あの時と同じだ!
 ───自分の大切な者を自分で喪うなど・・・・・・もう、二度としたくない。
 その時、戦乙女の剣が深々と突き立てられた・・・・・・私の胸に。
 逃げ行こうとしていた饕餮を的確に貫く。
「貴様は・・・・・・・・・!」
 饕餮が言う。
 なおも戦乙女は剣を埋めるようにねじ込む。
「・・・・・・そうか・・・・・・貴様・・・・・・が・・・・・・ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ・・・・・・」
 脳裏に饕餮の断末魔がこびりつく。
 ───闇に消えゆく饕餮に引きずられるようにして・・・私の記憶もここで途切れた。

***

 あとの記憶は、あまりない。
 私の未熟故に、多大なる迷惑をかけてしまった、その場に居合わせた全ての方々。
 私を止めて下さって・・・・・・饕餮を止めて下さって・・・・・・・・・・・・本当に、ありがとう。・・・・・・ごめんなさい。

 そして饕餮・・・・・・あの魔物から私を解放してくれた伊月さん、貴女にはどれだけお礼を述べても言い足りない・・・・・・。心から、感謝致します。
 饕餮は、もう二度と私のところに戻ってくることはないでしょう。

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Since 2000/01/05
Update 2002/09/14
written by アイラン=リウフェン[学籍番号H152471]
シャナ=D−シャーナ